「彼らは・・主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。」創世記3:8

アダムとエバは、主からの、善悪の知識の木から取って食べるなとの命令に背き、罪を犯した。すると主の御顔を避けて身を隠すようになった。罪を犯すと神から隠れる。心にとがめが来て、恐れが生じるからだ。主の愛と光の中で、妨げのない喜びと平安の交わりが破られた。だが罪を犯したアダムに、主の方から「あなたはどこにいるのか」と呼びかけられた。

 

アダムは「あなたの声を聞き、裸なので恐れて隠れ」と答え、罪については何も言わない。主は更に、「食べてはならないと命じた木から食べたのか」と具体的に問いかけ、悔い改めの機会を与えられた。「はい、食べました。ごめんなさい。」と言う事ができた。だが罪を認めるどころか、自分は悪くないと、責任転嫁をする。

 

エバが悪いと。自分を正当化し、他者のせいにして行く。これは根深い肉の性質だ。私たちにもある。日常生活でも、「あの人がああしたから、こうしたから」、あの人のせい、上司のせい、親のせい学校のせい、社会のせいで、自分は被害者で、自分が悪いとは絶対に認めない。しかし罪を犯したなら、自らの過失を認め、悔い改める時、全き赦しを受けて、いつでも再び、光の中を歩んで行ける。

 

主が十字架上で身代わりに罰を受けて下さったからだ。いつも主は「あなたはどこにいるのか」と、あなたのあり方はどうなのか、主との個人的関係はどうなのかと問い、私たちを正しい方向へ、御心へと導いて下さる。今、もし平安がなければ、主を避け、隠れずに、主に向いて、ありのままを答えて行こう。両手を開き、いつでも受け止めて下さる。

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私のあり方はどうだったのか・・主の問いかけに応答していきたい。そこに留まるなら、自分の罪を見なくて済むようにと、人を裁き、人の悪を数え続ける闇から守られる。御神の近くにいたい。 

 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係