会堂管理者のヤイロが、彼の娘が危篤状態となり、必死になって、主のもとに助けを求めて来た。足もとにひれ伏し、一生懸命に懇願した。ヤイロはもう必死だった。幼い娘が瀕死の状態なので、一緒に来て欲しいと。病気が直って助かるようにして頂きたいと。主は、彼の願いを聞き入れ、一緒に出かけられた。どんなに安堵し、嬉しかったろう。主さえ来て下されば、何とかして下さる。もう大丈夫だ。
するとそこに12年長血を患う女性が来て、中断した。彼女も、主のいやしを求めての事だった。危篤で、一刻を争うのに、ヤイロはどんなに気をもんだ事だろう。主が、女性にまだ対応中に、家から使いが来て、何と娘は亡くなったと告げた。もう来て頂く必要は無いと。亡くなってしまったなら、いっさいが断ち切られたという事だ、「遅かった」「もうだめだ」「手遅れだ」「万事休す」だと。
しかし、主は間髪を入れず「恐れないで、ただ信じていなさい」とヤイロに言葉をかけられた。ヤイロは御言葉を受け取り、主と共に家に帰った。そして主は、娘を生き返らせて下さった。信仰を冷えさせ、不信仰にしてしまうのが、否定的な言葉だ。「もうだめだ」「何もかも終わりだ」「絶望だ」のように。どんどん不安、落ち込み、恐怖、不信仰に陥って行く。
私たちも、「もうだめだ」の否定的な言葉を拒否し、聞き流し、主の「恐れないで、ただ信じていなさい」の言葉を握り、信仰に立とう。不安と恐れに襲われる時は、ネガティブな言葉を心に入れてしまっている。主を見上げ「恐れないで、ただ信じていなさい」に立とう。
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サタンが絶えず来る。思い煩い、恐れ、不安を次から次へと持って来る。何かの思い、言葉を投げかけ、心を暗くする。サタンに反応している事に気づけるように。主は絶えず「恐れるな」「ただ信じていなさい」と言葉をかけ続けて下さっている。