「・・アブラハムが、カランに住む以前まだメソポタミヤにいたとき、 栄光の神が彼に現れて、『あなたの土地とあなたの親族を離れ、 わたしがあなたに示す地に行け。』と言われました。そこでアブラハムはカルデヤ人の地を出て・・」使徒7:2

アブラハムは、生まれ故郷と親族を離れて、わたしの示す地へ行け、と主に告げられた。「生まれ故郷、親族」とは、居心地良く、安定した場所、慣れ親しんだ生活と周囲の人々、自分の居場所だ。安心できて、助けも受けられ、経済的にも生活の基盤が出来上がっている。そこにいれば、物心共に、特に主に頼らずとも生きて行けてしまうかもしれない。

 

そこを出るという事は、一大決心だ。主だけが頼りということだ。未知の地へ出るわけで、何が起こるかもわからない。身の危険もあるだろう。物にも頼れず、人も頼りにならず、自分の知恵も判断も頼れない。ただ主だけが頼みであり、主の言葉だけが、行く道を示すともしびであり、光だ。

 

ある女性が突然、責任ある重要なポストに辞令を受けた。しかし不安しかなかった。「自分の能力で出来るのか」「部下を持つなど、大丈夫なのか」「周囲の目も気になる」・・不安や恐れをすべて主に打ち明け、御心が成るようにと、切に祈りに祈った。その時「あなたの父の家を出て、わたしが示す地に行け」との御声を聞いた。今までの安心、安定の場所を出て、新しい地に行けと。

 

信仰により決心ができた。私たちもどうだろう。「生まれ故郷を出て」「親族を離れて」、主以外に頼っているものから離れて、今の場から、次の領域に進めと言われているだろうか。霊的な領域でどうだろう。信仰をもって、次の段階へ進めと。新しい御心に前進せよと。そこで、また信仰を成長させて下さる。信仰の成長こそが、私たちの願いではないだろうか。

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いつもと同じ毎日は安定の喜びがあり変化は不安だ。でも主を知り信仰生活が始まった。もう新しく出発しているのではないか。次の領域に進めとの示しは感謝だ。主を信じて出ていこう。

 

h発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係