「メフィボシェテはエルサレムに住み、いつも王の食卓で食事をした。彼は両足が共になえていた。」Ⅱサムエル9:13

メフィボシェテは、ダビデの親友ヨナタンの息子で、サウル王の孫だった。普通、前王の一族は皆殺しにされた。いつ反乱を起こすかわからない危険な存在ゆえだった。サウル王はダビデ殺害に燃え、ダビデは常に命を狙われ、何度か殺されそうになり、死と隣り合わせの日々だった。

 

そんな事からメフィボシェテは、ダビデに殺されて当然であり、隠れて身を潜めていた。しかしダビデは、メフィボシェテを王宮に招き入れ、サウルの土地をすべて返し、王宮で暮らし、他の王子と同様に、自分と共に食事をするよう言った。それはヨナタンが、サウルの王子でありながら、父親から自分を守り、命を救ってくれた大切な親友であり、彼との約束を果たしたいがためだった。

 

「私の食卓で食事をしてよい」とは家族の一員にするという事だ。サウルの子孫であり、更に両足が不自由で、王のために何の役にも立たないメフィボシェテは、なぜ自分が?殺されて当然の、何の資格も無い自分が? 余りの戸惑いで驚くばかりだった。このメフィボシェテは、私たちの姿だ。

 

御父に敵し、罪を犯し、その「罪の支払う報酬は死」であり、永遠に滅んで当然の私たちが、ただ御子の十字架の贖いのゆえに、罪は帳消しに無罪放免とされ、永遠に神の子とされる。そして主の食卓に連なる者とされ、溢れるばかりに豊かな交わりの中に入れられた。彼は「いつも王の食卓で食事をした」、私たちも日々主の食卓で溢れる恵みを味わおう。豊かな交わりに入れられている。

--------------

十字架にあらわされた主の愛と義を知る者にされ、日々主の豊かな交わりの中で歩んでいける。なんと幸いな者だろう。この恵みを忘れ、簡単に喜びが消えてしまう者だが、御言葉に励まされながら、喜びの内を歩んでいきたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係