「『ケイラの者たちは私を彼の手に引き渡すでしょうか・・イスラエルの神、主よ。どうか、あなたのしもべにお告げください。』 主は仰せられた、『彼は下って来る』」Ⅰサムエル23:11

ダビデは、ペリシテ人を打って、ケイラの住民を救った。その後、ダビデ殺害のために、つけ狙うサウル王がケイラに迫っている事を知った。普通、ケイラの人々を救ったのだから、当然、サウルに追われているダビデを助けるはずだと思う。しかし殺害を何とも思わないサウルは、ケイラの人々をも平気で虐殺するだろう。

 

ケイラの人々もそれを恐れて、怯えて、ダビデを渡すかも知れない。様々な思惑が巡る。ダビデは、どうしたのか。まずその事を祈りに持って行き、主に問うた。すると主の答えは、ケイラの人々はダビデをサウルに引き渡すというものだった。そのためダビデと部下600人は、即、ケイラから出て、あちこちとさまよった。

 

ダビデがケイラから逃げたと知ると、サウルはダビデ討伐をやめた。ダビデは荒野や要害や、ジフの荒野の山地に宿った。サウルは執念深く、どこまでもダビデをつけ狙ったが、主が、ダビデをサウルの手に渡されなかった。主の主権の中であった。私たちも、どんな場合も祈りが大切で、御霊の判断を仰ぐ事が大切だ。

 

助けたのだから、助けてくれるだろうというのが普通の判断だ。しかしダビデが肉の判断で動いていたなら、大変な危機を身に招いていた。人間的判断で行動すると間違ってしまい、危険に身を投じる事になる。常に御霊の判断、導きに目を向け、祈り心でいよう。主は必ず御心へと私たちを導いて下さる。祈りは力だ。

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些細なことでも経験する。先入観で祈らずに向かったものが思わぬ方向に展開したこと。主に祈って、一番良い方法に導いていただこう。思いを超えた主の最善が待っている。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係