「イエスは言われた。『人にはできないことが、神にはできるのです。』」ルカ 18:27

ある人に、打ちひしがれるような試練が臨んだ。その試練はつらくて苦しくてたまらなかった。そんな中、教会で御言葉を学んでいた時に自分が握り締めているものに気づかされた。それを主に委ねるようにと、示されているとわかった。しかしどうしても委ねられないのだ。委ねようとはするのだが、委ねられない。自分が固く握っている。どうしても放せない。なぜ放せないのか。

 

自分が手放すと、すべてが崩壊してしまうように、だめになってしまうように思うからだ。だから、ますます強く握りしめる。主に任せるのでなく、自分がしようとしている。任せられないのは、主を信じることができないからだと、心を照らされた。握り締めているものは、自分にとって、いのちとなっているものだ。

 

しかし現実は苦しくてたまらない。委ねられないからずっと苦しい。委ねようとするのだが、しっかりと握り締めている。もうどうにもならず、委ねられないこと、どうしても出来ないこと、握って放せないこと、しかし苦しくて助けて欲しいこと、そんな事を何もかも吐き出して祈った。

 

心底ギブアップ状態になった時、不思議だが委ねることができた。御霊の助けであり、祈りの答えだった。その時、その問題に解決が来て、平安にされた。私たちも委ねようとするが、委ねられない時、主のもとに行き、祈ろう。人にできない事が主にはできる。ありのままを主に祈ろう。助けを求めよう。主が働かれる。

 

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自分には、どうしても出来ないから、祈りが備えられている。祈りに持って行ける。そしてその祈りは答えられる。しかし自分には出来ないと

知り、認めなければ、主にすがる事もできない。出来ないという弱さは実は、大きな祝福だ。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係