「けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます」エペソ5:13

ある人に高齢の母親がいて、家事に困難が生じたため、ヘルパーをお願いする事にした。すると、そのヘルパーが来るまでに、家を掃除し、きれいにしようとするので、余計に大変な事になってしまった。こんな汚れた所に、人に入ってもらえないとの事だった。私たちもどうだろう。来客時には、見えない所にすべて押し込んで、外側きれいにするだろうか。

 

見た所きれいだが、見えない所はぐちゃぐちゃだ。私たちは御霊をこのように迎えていないだろうか。応接間にだけ通し、プライベートな部屋には入られたくない。都合の悪い部屋には鍵をかける。きれいな所だけを見せて、自分の醜い所、弱い所、汚れた所はいっさい触れられたくない。御霊にも隠してしまう。そして汚い部分は自分で対処しようとする。これが肉に従って生きることだ。

 

御霊によって殺すとは、御霊の光に自らのありのままを隠さずに、さらけ出す事だ。醜い、弱い、汚いそのところに御霊に来ていただくことだ。「明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます」「明らかにされたものはみな、光だからです」。隠しているものは、暗闇の中だが、明るみに出されたものは、光だと。

 

プライドが邪魔をするだろうか。しかし心の闇がどんなに深くても、御霊の光が射し込めば、もう闇は消える。御霊の光がある所、すでに闇ではない。あるがままの自分を御霊が照らし、見せられる事から祝福は始まる。どんなにひどい、醜い自分であっても、それを素直に認めて行く時に、主は取り扱って下さり、御霊により、キリストのかたちへと変えて行って下さる。

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自分の醜い部分は見ないふりをしても、もやもやと苦い思いとなって心をめぐってくる。そのまま祈りに持っていきたい。恨みや、妬みかも知れない。曖昧にせず、光の中に出そう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係