「・・だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。 なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。」黙示録3:8

フィラデルフィアの教会では、兄弟愛が保たれていた。それは「わたしのことばを守り」とあり、み言葉を重んじ、そこに土台を置き、み言葉に従っていたからだった。それゆえ兄弟愛が保たれていた。自分の思いでなく、み言葉に一人一人が従う時に、そこに兄弟愛が保たれる。「ことばを守り」が、カギだ。

 

そして教会は、「御霊の一致」を熱心に保つようにと言われている。人間的な一致でなく、御霊の一致だと。意見が合う、好みが合う、相性が良いとの、決して人間的なものではない。信仰者一人一人には、御霊が内住されていて、各々がその御霊に従う時「御霊は一つ」なので、そこに必ず一致がある。

 

それを妨げるものが、肉だ。皆が、自分の思いを主張して行くなら、必ず分裂になって行く。人は十人十色で、思いや意見は皆、ことごとく違う。そこにサタンが巧妙に働いて来る。主を見上げ、「主のみ思いは」から離れ、自分の思いに固執する時、「自分をわかってくれない」「受け入れてくれない」と感情的になり、関係がもつれてしまう。

 

「自分が」「自分の」「自分を」に向かう時、兄弟愛からかけ離れてしまう。サタンが働くところだ。まず主のみ思いは、み言葉はどう言っているかに目を向ける時、兄弟を愛する愛と一致に導かれて行く。そこに主の栄光が現れて行く。

 

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常に、自分の心の内には、御霊の思いと、自我からの肉の思いがある。肉の思いを捨てて、御霊の思いに従えるよう祈りたい。サタンに自己主張、自己憐憫、自己顕示を正当性で欺かれないよう祈っていよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係