「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、お前の用意した物は、いったいだれのものになるのか。」 ルカ12:20

ある金持ちが大豊作で、倉には納めきる事ができなかった。そこでそれを壊し、もっと大きな倉を建て、みなそこにしまった。もう先何年分も貯めたから、安心だ。さあ食べて飲み楽しもうと言った。その彼の間違いは、物で、命まで保障されると思った事だ。そこが愚かだった。だが神は「今夜、お前の命は取られる。お前が用意したものは、誰のものになるのか」と。

 

さあ、思う存分楽しもうとした矢先、その夜に亡くなった。元々金持ちの上に、更に豊作で、倉の上に、更に大きな倉だ。神が豊作を与えて下さった事の感謝は全く無く、貧しい人々に分け与えようとの思いも無く、どこまでも自分、自分、自分だった。宝のある所に、心もある。今、私たちの心はどこにあるだろう。この世の所有物は、実は神からの預かり物だ。真の所有者は神だ。

 

任されたものを、神に喜ばれるように管理して行く時、自分にも喜びが与えられ、そして天で豊かな報いがある。彼の人生に、神は無かった。人生は自分の思い通りになるものと思っていた。だがどんなに順風満帆であっても、明日どうなるかは、誰にもわからない。明日は主の御手の中だ。だから「あすのための心配は無用」と。

 

それより、今日なすべき事、今日の御心が備えられている。見えない明日の事を思い煩い、今日の日をつぶしてしまうなら、何一つ成し遂げられなくなる。今日、一人一人に与えられた役割がある。それをしっかり成し遂げる事ができるよう祈ろう。神の前に富むとは、み声を聞き、従う歩みだ。そして日々地道な交わりにより、主との関係が更に深く培われて行く事だ。

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明日の事を知ることは出来ない。先の事がわからないから不安になるのは当たり前だ。だから日々主を認めて、今日の祝福を祈り、明日を主に委ねていこう。自分の力で生きていると思うなら不安しか湧いてこない。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係