「イエスは出て行き、収税所にすわっているレビという取税人に目を留めて、「わたしについて来なさい」と言われた。するとレビは、何もかも捨て、立ち上がってイエスに従った。」ルカ5:27

レビとはマタイのことであるが、彼は取税人だった。当時、ユダヤはローマ帝国に支配されていて、ローマに代わりユダヤ人から税金を取り立てたのが、取税人だった。同胞から不当に余分に税を取り立てて、搾取をしていた。それでローマ帝国の手先、裏切り者と、憎まれ、さげすまれていた。

 

財は築いたが、人から軽蔑され、拒絶され、嫌われ、又、罪を犯していたので、心に闇を抱え、寂しさと虚しさの中にいただろう。生きる意味も見いだせなかったのではないか。そんな時に、主がマタイに目を留められ、「わたしについて来なさい」と声をかけられた。すると彼は何もかも捨て、立ち上がってイエスに従った。主が、そんなマタイの心の内をご存じで選ばれた。

 

マタイは、即、招きに応じている。いっさい迷いが無い。大変な覚悟だが、聖い方が自分のような者を招いて下さった事にどんなに驚き、そしてどんなに嬉しかった事だろう。彼は、主に従い通し、マタイの福音書を記す栄誉にあずかった。マタイは自分の事を「取税人マタイ」と言い、罪人であった事を隠さず、きっぱりと言い切った。

 

闇から光に入れられた、その恵みの大きさを、主の愛の深さを味わい知った。私たちも主が目を留めて、招いて下さったから、今がある。どんな所から救われたのか、救われていなかったなら、どうなっていたのか、今一度覚え、感謝を献げよう。

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信仰にはいった時を振り返れば、周囲の状況や様々な事情もあるが、やはり主についてきなさいと呼びかけられたのではないだろうか。そして与えられた恵みはあまりにも大きく、日々、日々新しい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係