「さあ、食事の用意ができました・・何もかも整いました。どうぞ宴会にお出かけください」マタイ22:4

王が、王子の結婚の祝宴を設けた。ところが招待していた客を呼びに行くと、皆、来たがらなかった。それで再度、別のしもべを遣わした。何もかも整ったので、さあどうぞと。だが彼らは気にもかけず、畑に、商売に出て行き、更に他の者たちは王の使いを殺してしまった。王は怒り、兵を出して人殺しを滅ぼした。

 

彼らは、神の事、永遠の事より、今の地上の事がすべてだった。王や祝宴などどうでもよかった。重要で大切なものが、畑、商売、この世の事だった。そこで王は、大通りで出会った者を誰でも招くよう命令した。出会った者を皆集めたので、宴会場は満員になった。だが、そこに婚礼の礼服を着ていない客が一人いた。王により、暗闇に放り出された。

 

大通りで、突然呼ばれるわけで、誰も礼服など持ちあわせていない。この礼服はすべて主催者側で用意されていた。だから放り出された客は、王の礼服を、故意に拒否した事になる。彼は、通りで招かれ、招きは拒まず、やって来た。だが、王の前に出る「礼服」は拒否した。「招待される者は多いが、選ばれる者は少ない」と。

 

主からの礼服、つまりキリストの救い、神の愛、義とされること、永遠の命を不要と拒み、自分の服で、自分を着飾る。自分の功績、自分の力を捨てず、自分の行いで認められようとする事だ。神より自分の考えを正しいとする事だ。私たちは、礼服を、主の救いの衣を着て、従って行こう。そして祝宴の溢れる喜びと楽しみに、大きな恵みにあずかろう。

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主の大きな恵みがあるのに、自分の考えでしか事をはかろうとしない。この恵みを深く知る者となりたい。自分では用意することのできない礼服を全ての人に与えてくださっている。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係