「レハブアムはエルサレムに帰り、ユダの全家とベニヤミンの部族から選抜戦闘員十八万を召集し、王位をソロモンの子レハブアムのもとに取り戻すため、イスラエルの家と戦おうとした」Ⅰ列 王12:2

レハベアムは、イスラエルがダビデの家にそむいたので、戦おうと。ユダとベニヤミンの戦闘員18万人を集めた。すると神の人シェマヤに、主からの言葉があった。上って行くな、あなた方の兄弟たちと戦うな。各々、自分の家に帰れ。わたしがこうなるように仕向けていると。

 

イスラエルがそむいたのは、主の主権と支配の下での事であると。それでレハベアムと人々は、主の言葉に聞き従い、北王国への行軍を中止し引き返した。「わたしがこうなるようにしむけた」「こうなるように計らったのはわたしだ」「この事はわたしから出た」と、主による事であった。

 

今、私たちに、突如の問題が起きているだろうか。「わたしがこうるようにしむけた」と。「私は黙し、口を開きません。あなたが、そうなさったからです」ともあり、主から来たものとして受け止めよう。その中で、主の示しに従って行くなら、その問題が大きな祝福とされて行く。もし主の言葉を無視し立ち向かい、戦うなら、更る問題と混乱を起こし、秩序を壊し、自分も大きな痛手を受ける。

 

今もし厳しい試練にあるなら、それも「わたしがしむけたのだから」との御心だろうか。私たちの益と祝福と成長のための訓練だ。反抗するなら、逆方向に向かい、せっかくの祝福を受け損なってしまう。試練として、しっかり受け入れる時、学びを得て、主を新たに知り、自分を知り、成長して行ける。

 

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主が成長のために、さじ加減ピッタリに量って、与えて下さるる試練が臨む。主から出たこと、こうなるようにしむけた、との御心を受け取れるよう祈ろう。沢山の学びと祝福がある。しばしば避けたく、又、屈折するなら痛いだけで得るものが無くなってしまう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係