「それゆえ、アッシリヤの主について、主はこう仰せられる・・彼はもと来た道から引き返し、この町には、はいらない・・わたしは この町を守って、これを救おう。」イザヤ37:33

ヒゼキヤ王の時代に、アッシリヤ王のセナケリブがユダの町々を攻め取った。セナケリブはラブシャケを送り、ヒゼキヤや人々に脅しをかける。大軍を伴い、強力な軍隊を誇示し、挑んで来る。ヒゼキヤが、主が救い出すと言うが、ヒゼキヤの言う事にだまされるな、信じるなと言い、皆の信仰を揺るがして来る。

 

これを聞いたヒゼキヤはどうしたのか。衣を裂き、荒布をまとって主の宮へ行き、祈りを献げ、イザヤにも祈りを要請した。私たちにも、サタンは同様に、挑み、攻撃をしかけて来る。経済的な苦境では、どうだろう。恐れと不安をどんどんあおって来る。神を信じるなどと言って、どこから降って来るのか。

 

又、対人関係の深刻な悩みや、他の様々な悩みはどうだろう。心が苦しくてたまらない。解決のつかない壁が、目の前にそびえているようだ。つらいばかりで、行き詰まり、どうにもならない。信仰していても、心が重くて沈むばかりだ。何も変わらない。祈っても無駄だ・・サタンは信仰を大きく揺るがして来る。

 

しかし、このような時こそ、ヒゼキヤのように「祈り」が何より、サタンに対して強大な武器であり、対抗手段だ。ヒゼキヤは祈り、イザヤも祈った。すると祈りに答え、主はまさに奇跡をされた。主の使いが戦い、勝利した。セナケリブは立ち去った。祈りこそが、大きな力だ。苦境には、まず祈ろう。

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落ちついて祈ることで、サタンに煽られている心が主に向き、守られる。自分の知恵など及ぶべくもない全能の神の存在をいつも見つめていなければ、すぐに揺らいでしまう。考え込む前に祈ろう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係