「わたしも一言あなたがたに尋ねましょう。もし、あなたがたが答えるなら、わたしも何の権威によって、これらのことをしているかを話しましょう」マタイ21:24

主が人々に教えておられると、祭司長や長老たちが、「何の権威にってこの事をするのか。誰がその権威を授けたのか」と詰め寄った。すると主は「バテスマのヨハネは、天から来たのか、それとも人からか」と逆に質問された。

 

すると彼らは互いに論じ「天からと言うなら、ではなぜ、ヨハネを信じないのか。更にヨハネが、救い主だと示すイエスを信じないのかという事になる。人からと言えば、ヨハネを神からの預言者として認めている群衆の反発が恐い」。そこで彼らは、「天から」とも「人から」とも答えず、「わかりません」に逃げた。

 

結局、彼らは真実から逃げて、主にも、自分にも向き合わず、責任を取る事もせず、自分の都合の良いように生きて行った。真実はどうかでなく、自分の都合はどうかだった。その時、主は「わたしも、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに話すまい」と言われた。

 

私たちもどうだろう。何が真実かでなく、実は人の目を気にしていたり、又、自分の思い通りに歩みたくて、あいまいにしているだろうか。犠牲は払いたくないだろうか。そこそこでよいと思っているだろうか。しかし、それなら、主を親しく知ることができない。

 

主を信じてはいるのだが、もやがかかったようで、よくわからず、中途半端で終わってしまう。「逃げています」「自分の思い通りに歩みたいと思っています「あいまいにしていたい者です」と認めて祈って行く時に、前進させて下さる。御霊が導き、御霊の喜びへと導いて行って下さる。

 

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ありのままを愛して下さっている主に、ありのままを告げてみよう。「よくわからないです」「絶対に放せないものがあります」「世も楽しんでいます」「でも、神様も知りたいです」ありのままを祈って行く時、何かが変わって行く。

 

h発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係