「主よ。あなたは私のともしび。主は、私のやみを照らされます。」 Ⅱサムエル22:29

私たちは、思い込みがある時、目の前の物事を正しく見る事が出来ない。目の前に青色のセロファンを置いて見るなら、景色が青色に見える。赤色のセロファンなら、景色が赤色に見える。同様に、もし自分の思い込みや偏見で、物事を見るなら、目の前の事態がその色にしか見えない。事実ではなく、自分の思い込みだ。

 

ありのままの景色を見るにはどうすればよいか。景色の問題でなく、自分の偏った、間違った見方の問題だ。そこに気づきが与えられる事だ。ある人が対人関係でトラブルが起きたが、どうしても、相手が悪いとしか思えなかった。自分は被害者であり、何も悪くない。しかし心に喜び平安が全く無い。心はつらく、重苦しく、暗いままだ。

 

余りにも心が苦しいので、主の御前に出て、あれやこれやと心の内を、あるがまま打ち明けつつ祈っていた。その時、御霊は示された。自分は被害者だと思っているので、自分は正しいと思っていて、全く気づかなかった。だが自分は相手をさばき、敵対心を抱き、憎んでいる。そこに愛のかけらも無かった。憎しみ、裁き、高慢、これは紛れもなく、自分の罪であった。

 

平安が無かったのは、罪を犯していたからであった。相手は関係無く、自分は自分の罪として、御前に悔い改めた。その時、平安が戻り、心が安堵で満たされた。この平安は何ものにも代えられないものだ。被害者だと思う裏に、憎しみや妬み、高慢が潜んでいて気づかない。御霊は、私たちの見えない心の闇を照らし、気づきを与えて下さる。

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ありのままが見えていないかも知れないと心に苦い思いがくり返し来るとき、主に祈り聞いていこう。いつも御霊の平和に満たされているよう、主が照らし示してくださる。罪は悔い改めよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係