「イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、 ご自分の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。」ヨハネ2:11

当時、ぶどう酒は、結婚式において、なくてはならぬ、非常に重要なものであった。それが、式の最中に無くなってしまうとは、有り得ない大失態だ。主役である花婿花嫁の面目まるつぶれだ。後々まで言い継がれるような失態だ。

 

私たちの信仰人生でも、時にぶどう酒が無くなるという事態が起きる。ぶどう酒とは、人生に喜びを与えてくれる喜びの象徴だ。その喜びの象徴であるぶどう酒が、時に、無くなってしまう。失敗や過失を犯してしまうし、病気やけが、つらい対人関係、経済的苦境、離別・・。その時に、どうするだろう。

 

とにかく自分で何とかしようと、パニックになり、あがいてしまう。まさに、水からぶどう酒を作り出そうとする。悪戦苦闘するが、自分でぶどう酒など作れるはずがない。行き詰まり、疲れ果てる。私たちのする事は、自分でぶどう酒を作ることではない。マリアのごとく、まず主に向かって、「ぶどう酒がありません」と言うことだ。

 

そして、自分で何とかするのでなく「あの方が言われることを」まず聞き、言われた事に従うことだ。目を向けるのは、主にであって、目の前の状況ではない。その時に、主が働かれる。言われる通りに従う事は、水かめに水をくむ事だ。そうする時、主が水をぶどう酒に変えられる。

 

まず主に目を向け「あの方が言われることを」実行しよう。その時、みわざを見る。今、「あの方が言われること」があるなら、すぐに行おう。主の栄光を現される。

 

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突然、ぶどう酒が無くなることを経験する。パニックになり、自分が立ってしまう。何とかしなくてはと、不安と思い思い煩いに襲われる。「わたしを呼べ。わたしはあなたに答え」と言われる主を、まず呼ぼう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係