「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです」ローマ5:3

ある人が、生まれた子どもに肢体不自由と難病が発覚。最初はもうパニックで、ただただ涙、涙だった。現実を受け入れられず、「なぜ?なぜ?」「どうして、自分の子が?」「これからどうして行けば」と、心が真っ暗の悶々の日々だった。しかし、祈りに祈りながら、時を経る中で、不思議が起きた。子どもと関わるにつれ、自分が子どもから励まされ、慰められ、喜びを与えられている事に気づかされた。

 

世の見方、価値観は、子どもは「不幸」「かわいそう」「気の毒に」だった。しかし主の目から見ればどんなに尊く、特別な愛の対象であり、どんなに慈しまれ、目を注がれているかを覚えさせられた。自分の肉の目でなく、主がどう見ておられるかに、目が向いて行った。この世的には、確かに不自由だし、大変だし、実際問題生きて行く上で、直面する様々な苦しみや悲しみがある。

 

しかし主は公平な方であり、主に不公平は無く、永遠の報いに目を向けつつ、今のこの時を生きるよう、心を導いて下さった。そして、少しずつ主は霊的な面で導かれ、主に決して間違いはなく、何らかの特別な「ご計画」がある事を、受け取るようにされ、信じられるようにされて行った。

 

目の前の選択にも、一つ一つ指針を与えられ、後に振り返ると、確かに良かったと感謝できた。今まで導かれた主は、これからも必ず守り導いて下さると信じる事ができる。何よりも主は自分自身を練り、鍛え、きよめ、成長させて下さっている事に気づかせられた。主に間違いは無い。つらく、苦しい時も主を見上げ、まず祈って行こう。

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なぜ私だけがと人がみんな幸せに見える孤独で暗黒のトンネル。そこを通して主はご自身を現される。そしてこの暗黒に主が働かれていたこと知る。患難こそ最も主に近いときだ。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係