「・・高さも、深さもそのほかどんな被造物も、私たちの主キリスト・ イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」 ローマ8:39

この世の人々が、よく言うだろうか。「クリスチャンは弱者だ。何でもかんでも神に頼り、依存する。人間は、自分の力で生きるべきだ。信仰は弱い者のする事で、クリスチャンは人生の敗北者ではないか」と。だが主は、「私たちは、私たちを愛して下さった方により、すべての中にあって、圧倒的勝利者となるのです」と。

 

私たち信仰者は、何と、人生の「圧倒的勝利者」だと言われる。弱い人に、自分の弱さは認められない。真正面から自分に向き合い、主が見ておられる通りに自分を見て、自分の姿を認める事は、自分が真の自分になる事だ。強いと思っているのは虚栄であって、幻だ。主が、圧倒的勝利者にされるのは、自分の限界を知り、認める人だ。

 

決して強くなどない、人に見せられない、自分のどん底の姿、惨めで哀れで、裸で、破れ果てた自分、それを知る事こそが大きな祝福だ。主が働かれるのは、必ず自分の力が尽きた所だ。肉の力が尽きた時に、主が働かれる。それ以前では無い。その時、主の力を、みわざを自分自身が経験する。

 

自らの弱さを認める事こそが、圧倒的勝利への道だ。そこに御霊の喜びと、何にも代えられな平安を味わう。私たちに、試練があり、苦しいつらい出来事が起きる。それこそが「圧倒的勝利者」を経験して行くためのものだ。

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主の赦しがあるから自分の弱さも罪深さも認め受け止められる。弱さを知っている事は強い。どんな状況をも益としてくださる主だ。どんな問題の中でも祝福を得る術を私たちは知っている。 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係