「「主よ。あなたの決めておられるように、私を生かしてください。」詩篇119:149

ある人が、証しをした。ある時、一見不都合な、マイナスの事態が起きて、非常に苦しい状況になった。その時に、良い状況に変わるようにと、祈りに、祈り続けた。切なる祈りを重ねるのだが、その苦しい状況は全く変わらなかった。祈りが答えられていない。全く答えられない事に気づかされた。そんな事も含めて、そのままを祈りに持って行った。

 

いろんな起きた出来事を一つ一つ、祈りの中で考えて行った時に、この状況は変わらないのではとの思いとなり、更にそれは確信になって行った。なおも祈っていると、状況でなく、自分の思いの方が変えられて行った。一見悪い事態だが、主に在っては、悪いものでなく、主が自分のために備えて下さったものであり、良いものなのなのでは、と。むしろ主の下さった最善なのではと。

 

そのように思いが至った時に、不思議だが、心が変えられ、あれほどつらく苦しかった心が落ち着いてきて、平安が臨んだ。気持ちが楽になって驚いた。主が、私たちのために、決めて下さった道に歩むことが、一番平安なのだと、教えられた。今までを振り返る時に、自分の思いが非常に強く、自分の思う道こそが最善だと思っていた。

 

自分の願望が叶う事が、幸せなのだと。自分が中心だった。そうでなく、それを明け渡して、自分の願いではなく、主の御心が成るようにと、主の決められた道に従う事こそが、喜びで平安なのだと学ばされた。

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長く祈っていると時間の経過とともに、状況が変わらなければ自分の思いが変わっていく。主の御心にそってふさわしく変えられる。主が決めておられるように生きていきたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係