「子どもらよ。今、私に聞き従い、私の言うことに心を留めよ。」 箴言 7:24 

ある人の車が故障してしまった。見積もりでは多額の修理費が必要だった。そんな時に丁度、メーカーの呼びかけが報じられた。その車種の欠陥が判明したので、直ちに、付近の店に、修理に出すようにと。呼びかけに応じて、故障車を出すと、きれいに修理されて戻った。いっさい無料だった。

 

呼びかけに応じたので、修理され、気持ちよく使えるようになった。しかし応じなければどうだろう。何も変わらずそのままだ。神は私たちに、呼びかけられる。それは、私たちを導くためであり、間違いを正したり、私たちの必要を教えて下さるためだ。

 

聖霊からの御言葉を通しての語りかけ、又、思いを通しての語りかけが来る。又、それは人を通して来るかもしれない。家族や学校、職場の人々からの、私たちへの助言や、間違いに対する忠告かもしれない。祈っている時に、ふっとなすべき事を示されたり、又、誤りを示され、気づかされる事がある。

 

そして、み言葉を読んでいる時に、ストレートに罪を示される事がある。ある人は、一人で部屋にいた時に、突然、光のように、過去の間違いをはっきりと知らされた。まさに御霊の働きであった。罪を罪と認識もできず、罪だともわからない事だった。御霊の光に照らされて、主への畏れでいっぱいになり、その場にひざまずいて、心からの悔い改めの祈りをした。

 

心が平安に満たされて、新たにされた。主を近く感じ、感謝があふれた。主は私たちに呼びかけられる。導きを与え、又、矯正のためだ。私たちをキリストの似姿へと造り変え、成長させて下さるためだ。呼びかけに耳を澄まし、応答して行こう。

 

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主は、御声をかけられる。語りかけて下さっている。主からの語りかけがわかった時が、大切だ。聞くだけでなく、従おう。勇気が要るかもしれないが、御霊の助けがある。犠牲を払う事も、必要かも知れないが、一歩踏み出そう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係