「『その石を取りのけなさい。』死んだ人の姉妹マルタは言った。 『主よ。もう臭くなっておりましょう。四日目になりますから。』」 ヨハネ11:4                  

ラザロが危篤で、危険な状態となり、マルタは主に来て頂きたく、使いを送った。ラザロが病気とだけ伝えたなら、きっと主が飛んで来て下さるに違いないと思ったろう。だが、主が来られたのは死後4日目だ。主は病気の治癒ではなく、死からよみがえらせる事を意図されていたからだ。

 

けがや病気なら治療すれば治る。壊れた対人関係でも、努力するなら、あるいは修復の可能性もある、しかし、死だけは絶対に元に戻らず、どうにもならない。完全に切り離され、すべては断ち切られ、絶望だ。

 

主は、その死をも支配し、勝利されている神の力を現わそうとされ、そして「あなたがたが信じるため」であった。マルタもマリヤも将来のよみがえりは信じていた。だが今、現在、という事を信じる事ができない。頭ではわかっていて、知識もあるが、目の前の現実は信じられない。

 

私たちの姿だろうか。主はマルタに「その石を取りのけよ」と言われた。心に不信仰の石がある。見える所、常識、世の価値観で判断し、不可能で、有り得ないと思っている。見える所は、凄まじい力で襲って来て、私たちを妨げる。まず自分の内の、「不可能」という不信仰を認めよう。

 

そして、主が語られた言葉を受け取り、信じ、握って立つ時、信仰が臨む。「主に不可能なことは一つもない」あなたの心の底に、主にも不可能だとの思い、「不信仰」が潜んでいるだろうか。もし信じるら、栄光を見る。ありのままを祈り、信仰へと意志を向けて行こう。

 

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サタンの力は凄まじく、目に見えるところを見せて、襲って来る。そこに、常識、この世の価値観、経験値が加わり、凄まじい攻撃となって来る。ありのままを正直に祈り、信じられないと、助けを求めて祈ろう。主の力が働き、信仰へと助け導いて下さる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係