「・・大麦のパンが五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、 なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。」ヨハネ6:13

主は、み言葉を聞きに集まった、大勢の人々のために、ピリポに「どこからパンを買って来ようか」と問われた。しかしご自分では、しようとしている事をご存じの上だった。ピリポは、手持ちのお金と人を見て、「200デナリでは足りない」と答えた。人間的、常識的判断では不可能であり、「足りません」が答えだった。

 

ところがアンデレは、何か食物を持っている者はいないかと、大勢の中を探し回った。そして小さな弁当を持っている子どもを連れて来た。それは五つのパンと二匹の魚であった。あるいは、もしかして主が何かして下さると思ったのかも知れない。しかし、極少の弁当が、こんなにも大勢では何になろう。主への期待と、だが大勢過ぎて無理と。

 

しかし主はこの小さな信仰を用いて、この奇跡をされた。ここで学ぶ事ができる。「足りない」との判断、答えは、自分を軸にした視点に立っている。それを自分軸でなく、主を軸にした視点に変える事が大事だ。自分には能力が足りない、時間が無い、費用も無い、体力も無い・・だから出来ない。

 

それはあくまでも自分軸視点であって、主はどう思っておられるのか。又、5つのパンと2匹の魚、「何になりましょう」こんな小さなものが何になろう、あっても無くても同じようなもの。「無理」、しかし、その僅かなもの、小さなものを、主に献げるなら、主は受け取って下さり、驚くべきみわざの中に入れて下さる。

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どうせ無駄だとの思いはいつもつきまとう。この手にあるのは小さなものでも、主は心のままに用いてくださる。自分軸から主に視点を移し、主のご計画の前に信仰をもって手を上げよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係