アナニヤは、ダマスコに住んでいた。当時、激しい迫害の中、キリス者はエルサレムからあちらこちらに散らされ、国外にまで散って行った。しかしユダヤ人たちは、彼らを徹底的に、どこまでも執ように追った。青年サウロは、クリスチャンを捕らえるべく、大祭司にダマスコの諸会堂宛の手紙を書いてもらった。その途上で、突然天からの光を受けることになる。
一方、アナニヤは、迫り来る危機に、必死に祈っていた事だろう。そんな時に、「アナニヤよ」と主の御声を聞いた。主からの御声にどんなに心強かっただろう。だが、その主の言葉は驚くべきものだった。キリスト者に殺害の意に燃えて、迫害を重ねて来た、サウロに会いに行けと。そして盲目になっている彼の開眼のために祈れと。
アナニヤはとんでもない想定外の内容に、驚き、戸惑い、理解できず、彼は迫害者で・・と問うて行く。主は、彼は宣教のための選びの器だと、行けと答えられる。アナニヤはどうだったろう。愛する多くの同胞を殺害した相手だ。その相手を助け、祈れと言われる。
あのサウロが、本当に回心したのだろうか。そんな事があるのだろうか。自分も殺されても不思議はない、命がけだった。それに本当に主の御声なのか。聞き間違いでは?様々な思いがよぎっただろうか。しかしアナニヤは、主に従った。主はアナニヤをこのために選ばれ、彼が従うことを知っておられた。
彼は、常々、御声に耳を傾け、主との交わりの中に生き、従い続けて来た弟子であった。私たちも普段の地道な、主との交わりを大切にし、「主よ。ここにおります」と答えよう。
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主のご計画はいつも先行している。自分の思いで推し量ることは出来ないが、主に示されたなら従いますの姿勢でいたい。不安も疑問も祈りながら主の導きに従っていこう。