「イスラエル人はこれを見て、『これは何だろう。』と互いに言った。 彼らはそれが何か知らなかったからである。モーセは彼らに言った。『これは主があなたがたに食物として与えてくださったパンです』出エジプト16:15

苦難の中にいたイスラエルの民は、主の偉大な奇跡により、出エジプトを果たした。「主に向かって歌え。主は輝かしくも勝利を収められ」と主を讃え、大いに喜び踊った。だが荒野に出て、3日間歩いた途端、「水が無い」とのつぶやきに変わった。次には、食べ物が無いと不平不満をモーセにぶつけた。エジプトで死んだ方が良かったとまで言う。

 

主はそれに答えられ、天からマナを降らせ、夕にはうずらの大群を降らせられた。このマナは1日分だけと命じられた。従わずに、朝まで残しておくと、虫がついて腐った。朝ごとに、各自食べる分だけ集め、残ったものは、日が高くなると熱くなり溶けた。主は「朝ごとに」「各自」「食べる分だけ」と定められた。

 

どうだろう。1日分だけと言われても、密かに明日の分も、明後日の分も、集めるだけ集めたい・・もし、翌日降らなかったらどうするのか?主を信じられなかったら、そうしてしまう。しかし主は、来る日も来る日も、荒野の40年間、毎日マナをもって養われた。これは自分でなく、主によって生かされているという事実を心身をもって知らせようとされた。

 

「神が私を生かして下さっている」「私は神により生かされている」これを心底知る時に、思い煩いから解放される。日々、様々な形で、主に信頼し、御声に従う訓練が、私たちにも臨んでいる。信じようとしないなら、いつまでも主を知ることがない。御声に、言われた通りに一歩意志を向けて、従ってみよう。 

 

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主を信じないと、翌日降るかどうかわからない不安で、取っておく。すると、ずっと心配と思い煩いを揺れ動くままだ。自分の内の、主の言葉を信じる事を妨げているものを、照らされるよう祈り、一歩一歩取り扱い導いて頂こう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係