「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。」詩篇 139:23

信仰生活の中で、「思い煩い」についてどうだろう。よく思い煩ってしまうだろうか。思い煩いたくなどないのに、あの事、この事~と抱え込んでは、平安なく、心重く、沈んでしまう。主は「思い煩い」について教えておられる。明日の事を思い煩うなと。明日の計画、準備をするな、ではなく「思い煩うな」と言われた。

 

人は、自分の力量を超えたことに関して思い煩う。明日の事は、人間はわからない、いっさい見えず、理解不可能だ。そのため思い煩ってしまう。しかし、主は、「あすのことは、あすが心配する」と言われた。明日は、明日が心配するから、今日心配する必要はないと。明日、何が起こるか全くわからない。自分の限度を超えている。

 

明日を悶々と思い煩う事で、今、現在の大切な時間をつぶしてしまう。それこそが問題だ。今日なすべき御心を行う事ができない。主を喜び、感謝し、証しするための今日を、暗い、沈んだ、平安と喜びのない一日にしてしまう。そしてこの大切な一日は帰って来ない。「労苦はその日その日に~」の通り、今日一日になすべき御心があり、「今日」の分は負える。今日を、精一杯主と共に生きるようにと。

 

そのために、大切な事は、思い煩いを主に委ね、明日を委ねる事だ。主を信じ、委ねることが、思い煩いの解決の道だ。「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい」。全知全能の愛に満ちた神が、あなたの事を心配していて下さるからと。ゆだねる事ができないなら、そうできるよう祈り求めよう。主は助けて下さる。

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思い煩いは、気力を奪い一日ばかりか多くの事を見失わす。心配が来るとき、繰り返し祈り委ねていこう。主に向かって祈る心に、主は心配事よりも強い平安を必ず与えてくださる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係