「御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。」ガラテヤ5:16

主を信じ救われた私たちは、新しい性質が与えられているので、主自分の力で主に従おうとする。すると、どうだろう。腹の立つ事態が生じると「主は柔和なお方」と、怒りを我慢し、抑え込むだろうか。又、思い通りにならない事態が起きて、イライラすると「忍耐しなければ」と、ひたすら我慢しようとする。

 

あちらでも、こちらでも、我慢に我慢を重ねる。しかし抑え込んだのは、底に溜まって行くので、許容量を越えると、必ず爆発する。定期的に爆発しては、それまでの証しを台無しにしてしまうだろうか。あなたも経験あるだろうか。我慢というのは、単に抑え込むだけなので、それが溜まるといつか大噴火する。

 

主に従うとは、内側に抑え込んで我慢する事ではない。それなら、表面を取り繕うことだ。クリスチャンである事は、フラストレーションのかたまりになってしまう。そうではなく、欲求不満を底に置いたまま、歯を食いしばって、ひたすら我慢するのでなく、「我慢できません」「忍耐できません」「腹が立ちます」と主にありのままを祈って行くことだ。主に信頼して行く時、主は受け止めて下さり、力を与えて下さる。

 

まず、ありのままの自分を主に打ち明けよう。主は愛して、そのままを受け止めて下さる。その時、不思議に心が平安にされる。そして御声に耳を傾けよう。主のみ思いを伝えて下さる。その御声に従う。出来ないと正直に言い表しているので、御霊が必ず助けて、働いて下さる。御霊の支配の中に置かれるので、自力でく御霊によって歩むことができる。

--------------頭でわかっていてもいざ従おうとすると出来ない自分を示される。では出来ないと知ることは感謝だ。出来ませんと主に祈れる。出来るようにしてくださいと祈ろう。主が備えてくださる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係