「ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた」 Ⅰサムエル1:10

私たちは、思い煩いが増す時にどうするだろう。み言葉に「何も思い煩わないで」とあるが、そうは言われても・・と思うだろうか。あるいは、考えないようにするだろうか。不安や虚しさを考えたくなくて、予定をいっぱいにし、走り回る人々がいる。しかしふっと心に浮かぶと暗くなる。

 

そんな時、主は、自分で何とかしようとせず、逃げるのでもなく、ことごとくを主に告げよと言われている。「願い事を主に知っていただけ。そうすれば主の平安が臨む」と。祈りの人と言われるハンナは、不妊に苦しんだ。又、もう一人の妻で子どもを持つ、ペニンナのいじめに苦しんだ。

 

神に祝福されていないという、周囲の白い目に苦しんだ。心がつらさと悲しみと痛みと嘆き、怒り、いら立ちでいっぱいになり、もうどうにもならなくなった時、立ち上がって、主のもとへ行った。そして、ことごとくを祈りに持って行った。自分で抱え込んだまま苦しむのでなく、祈りのために立ち上がった。

 

ハンナの心は痛みで、主の御前で激しく泣いた。又、長く祈り、主と交わった。心を注ぎ出し、つのる憂いといらだちを、主に吐き出し、思いも感情もことごとくを主にぶつけた。主は、私たちの感情も、思いも、ありのままを受け止めて下さる。

 

私たちを極みまで愛し、あわれんでいて下さるからだ。ハンナは主に受け止めて頂いて、エリの「安心して行きなさい。その願いが叶えられるように」との言葉で、もはや以前の顔でなく、すっきりし平安になった。主のもとへ行き、ことごとくを告げよう。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

問題が来た時に、考えたくなくて、避けたり、逃げたりしていたい。その瞬間は忘れるが、しかし、それはずっとそこにある。主は、解決して下さるし、導いて下さる。それをまず主のもとに持って行こう。祈りの中でゆだねて行く時に、必ず感謝へと導かれる。 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係