「しかし、わたしが、神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、神の国はあなたがたに来ているのです。」ルカ11:20

「神の国」とは、神の支配のことだ。神が支配されている所が、神の国だ。それなら、どうして悩みや苦しみがあるのだろう。神の支配の中なら、苦しみや悲しみ、問題の無い、平安と喜びで満たされた状態ではと思う。なぜそう思うのだろう。悩みや問題は、苦しみや葛藤をもたらすものであり、避けたい嫌なものだ。

 

人間に幸せをもたらして下さるなら、苦しみや悲しみが無い状態だと思う。だから、主は、そのようにして下さると思ってしまう。しかし、それは人間の勝手な思い込みだ。人間の思う神とは、自分に都合が良い神で、ハッピーな事、自分に利益をもたらしてくれる神だ。人間中心に考えると、そうなってしまう。

 

そのため、聖書の神もそうあって欲しいと思うので、主が支配する所なら、心配も悩みも無いはずではと思う。だが、そうではい。神の支配は、私たちの自由を拘束する強権支配ではない。又、何もかも私たちの願い通りになるのでもない。それは、ご自分の独り子を私たちのために殺され、罪も死も引き受けて下さった、一方的な、無条件の、犠牲的愛による支配だ。

 

今、この主の愛のご支配の中に置かれている。だから、つらい事も、試練も起きるが、それは、愛なる神から送られているのであり、愛のゆえだ。主にはご計画があり、その苦しみは必ず益とされ、私たちが願う霊的成長へと導かれ、主を更に親しく知って行ける。必ず祝福とされ、御霊の実を結ばせて下さる。

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試練は苦しみだけに目がいってしまうが、幸せと思えるものも悲しみと思えるものも、全て主のご支配の中でくると試練の中で知る。主が最も近くにおられ愛されている事を知るからだ。平安の実だ。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係