「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。」詩篇 62:1

神には「神の時」がある。私たちはどんな場合も、その神の時を待ち望む事が大切だ。ヨセフは父親から偏愛され特別扱いのため、兄弟たちに妬まれ、憎まれる事になる。そのため兄たちにより、エジプトへの隊商に奴隷として売られた。しかしそこで良い主人が備えられ、ヨセフも忠実に仕え、その家のすべてを任せられる事になる。

 

彼は、奴隷ではあったが、主人の家での大きな祝福に、さあ「私の時」だと思ったかも知れない。しかし主人の妻の誘惑に会い、濡れ衣で投獄され、奴隷より更に悪い囚人となってしまう。それも理不尽な無実の罪で。そこで忍耐の時を過ごす。しかしそこでも主を待ち望みつつ、忠実に仕え、模範囚となり、囚人の管理を任される。

 

やがてそこから出され、様々な状況を通り、最終的に王から総理大臣に任命され、全権を任されるまでになる。忍耐を重ね、主を待ち望み続けた結果、とうとうヨセフの「時」がやって来た。あなたは今、苦しみの時だろうか。目の前が真っ暗で、何の希望も持てないだろうか。しかしヨセフのように、そこに神のスケジュールがあり、「神の時」がある。

 

神を信頼して、神を待ち望もう。いつも共にいて、あなたの信仰を練り鍛え、強めようとしておられる。あなたへの神のご計画の「時」がある。今は先が見えないが、必ず時が満ちて、神があなたを引き上げられる。神の「時」は完璧で、素晴らしいみわざが遂げられる。最悪の状況の中で、自らの力が尽きるところにこそ、神の力は現される。主を待ち望もう。

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見えない先は不安でも、今この時も全てを主が支配しておられると思うと大きな安らぎを覚える。私たちは揺らぐが主は揺らがない。恐れは御前に注ぎだし、主を信じて待ち望もう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係