「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」マタイ14:27

信仰人生の中で、誰しも学ぶ事がある。それは、人生は決して自分の思い通りではないという事だ。ほとんど思い通りにならないと言っても過言ではない。しかし、信仰人生で大切な事は、思い通りに行く事、何事もうまく行く事ではない。そうではなく、人生に突如の事態が起きても、何がどうなったとしても、外側に嵐が吹き荒れる時も、心の深いところで「大丈夫」と思える安心感、信頼感ではないだろうか。

 

「永遠の腕が下に」申命33:27「その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。主がその手をささえておられるからだ」詩篇 37:24。そして万事益とされるお方が、「世の終わりまでいつも共に」いて下さる。一つも例外なく「万事」だ。今のあなたの思い煩い、不安も含まれる。私たちの身に起きる一つ一つの事に、主の目的があり意図がありご計画がある。

 

何が起きても、「愛なる主が、常に共におられ、私の生涯を確かなご計画をもって、導いて下さっている」との大きな安心感がある。わけのわからない運命に、ほんろうされているのでは無い。愛の主の御手の中にあり、主が人生を支えて下さっているとは、何と平安な事だろう。

 

ヨセフは全く思い通りでない、理不尽な、波瀾万丈の人生であった。しかし状況でなく、その中に主を見て、信仰によって歩み続けた。だから人の悪意さえ、主が良い事のための計らいとされたと告白できた。ヨセフにとって最大の力と恵みは「いつも主が共におられた」事だった。

 

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信仰生活が長くなるほどに、自分の思い通りにはならないと学ばされる。想定外の事が次々と起きる。が、必ず乗り越えて行けて、主を知る事の更なる恵みを経験して行く。試練自体よりも、恐れに飲み込まれるので、必ず御声を聞き、祈ろう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係