「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」ヨハネ15:5

ある女性が証しした。「“わたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます“とあって主にとどまるという事を、毎日の生活で教えられています」と。ある朝、疲れが取れず、頭は重く、身体がだるくて、家族の朝食を作るのが、面倒でたまらなかった。だいたい何で自分ばかりが、毎朝毎朝作らないといけないのかと、サタンが来る。

 

不満、つぶやきを吹き込んで来る。家事が重荷で、心身がだるくて仕方が無い。そして数日後の事だった。家族のために朝食を作り、洗濯物を干していて、讃美が湧き、平安と喜びで、幸福感でいっぱいだった。ふと気づかされた。全く同じ場所で、同じ事をしているのに、片や不平不満、“ねばならない”の重圧感。

 

片や平安と喜び、幸福感・・同じ自分が天と地ほどに違う。主にとどまることの大切さを実感したと。マルタとマリヤが出て来るが、マルタは、主をもてなすために、料理をしていた。段々、時間が迫り、焦って来ると、まだまだする事が多過ぎて、イライラピリピリ、思い煩いに襲われる。ふと見ると、何もしていないマリヤに怒りが燃える。

 

だいたい何で手伝っていないのか。何で自分ばかりが忙しいのか。マリヤを責め、それを許している主を責める。主のための奉仕が本末転倒だ。主を離れては実を結ぶことが無い。主が抜け落ちていたなら、すぐに主に立ち返ろう。

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サタンは感情に寄り添うように来て主の御言葉から離していく。自分は弱い。イライラさせられてもどんな環境にも左右されない主の平安を祈れば力を受けられる。主に頼ろう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係