「あなたの手を伸べ、彼のすべての持ち物を打ってください。彼は、きっと、あなたに向かってのろうに違いありません。」ヨブ1:11

サタンは、「兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者」と言われているが、主に、ヨブの事を訴え、中傷した。ヨブが、主に従っているのは、見返りがあるからで、そうでなければ、従うわけがないと。ヨブは自己中心な動機で従っているのだと訴えた。

 

主はヨブを、そしてその信仰を認めておられたので、サタンが、ヨブを試すのを条件付きで許可された。私たちが、主に従っているのは、家内安全、商売繁盛、交通安全のためだろうか。そうであれば、この世のご利益宗教と同じになってしまう。もし、自分の利得に合わなければ、いつか主に従う事をやめてしまう。従う理由が無いからだ。

 

あなたはなぜ、主に従っているのだろう。もし、自分のためなら、順境の時は良いが、苦しい試練の日に、身を引く事になる。得るものが無いからだ。御言葉のために困難や迫害が起こると、すぐつまずいてしまうとある。こんなはずでは無かった、になってしまう。しかし、そうでなく、利得があるからでなく、私たちは、神が神であられるから、神を礼拝して生きて行く。

 

人生には必ず良い時も悪い時もあるが、その中で、主に従って行く。クリスチャンも未信者と同じように、順境と逆境がある。逆境の中でも、主を崇め、従って行く。主は良いお方であり、変わる事のない愛を注いでいて下さり、人生で与えられる様々な出来事を通して、主を更に深く親しく知って行ける。これこそが私たちの喜びだ。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

試練は好きではないし、決して望まないが、振り返る時、あの苦しみ、その悲しみ、この痛みにより、今の自分が形造られたとわかる。砕かれ、練られ、何より、主と近くされて来た。主の真実、あわれみ、主の主権を知らされた。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係