詩篇記者は、悪者が栄えるのを見て、ひどく落ち込んだ。彼らは楽しげで、豊かで肥え太り、何の苦しみも無さそうだ。悪者は問題もなく安らかで富を増す。それに引きかえ、主を信じる自分は惨めで、苦しみばかりで、何の良い事もない。虚しく心をきよめている。この足はたわみそうで、歩みはすべるばかりだ。なぜ、どうして神を信じない者が栄えるのか。イラ立ちと不満で一杯だ。
その彼が、神の聖所に入り、光が与えられた。実は、彼の不満や妬みや愚痴、様々な悩みの原因は、目に見える状況の問題でなく、自分が神の近くにいなかった事によるとわかったのだ。「神の近くにいることが幸せ」なのだと。本当の問題は、様々な事柄や状況ではなく、自分と神との関係であった。神から離れ、その関係が崩れていた事だった。それが根本的な事だ。
私たちも同様だ。愚痴や不平、イラ立ちで一杯になる時、本当の問題はその状況でなく、自分と神との関係にある。主から離れているから、平安が無く、喜びも無く、心が満たされずに、荒んでイライラしている。それに反して、主との親しい交わりの中にいる時、状況がどんなに苦しくても、大嵐の中でも、心は霊の平安に守られる。
主の近くにいる事が、平安であり幸せであるので、問題が問題でなくなってしまう。一番大切な事は、主との関係だ。今、主との関係はどうだろう。主から離れているなら、すぐに立ち返ろう。主からの平安が戻る。そして、状況に関係なく、どんな中でも、幸せである事ができる。
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人から見るとつらそうな状況でも主の近くにいる者は常に満たされている。主が満たしてくださるからだ。不平不満が湧いてくるとき、気づきたい。神なる主は我が避け所。主を喜び主の近くにいよう。