「そして、その川の水を飲まなければならない。わたしは烏に、 そこであなたを養うように命じた。」Ⅰ列王17:4

エリヤは主の示しを受け、アハブに雨が降らない事を宣言する。悪王アハブの事だ、気に入らなければ、その場で打ち首も不思議はなく、勇気が要った事だろう。信仰により従った。すると主はエリヤに、ケリテ川に行き、身を隠せと指示された。カラスにより養うと。エリヤをかくまうためだった。

 

カラスに自分の命の糧がかかっているなど、何と心もとない事だろう。しかし、これはカラスに頼るのでなく、主の言葉に頼る事の訓練だった。私たちも、訓練を受ける。何に頼っているのだろう。働く事のできる身体だろうか。生活の安定を保障する富だろうか。いつも慰め、励ましてくれる人だろうか。拠り所としているものは何だろう。

 

又、「身を隠せ」から、密室での主との交わりを教えられる。目に見える成果や成功等は、誰しも大好きだが、全く見えない地道な事は好まないだろうか。しかし豊かな実は、根が、誰にも見えない地中で張ってこそ結ばれる。大木の根は地中深く張り巡らされている。

 

隠れた主との交わりこそが、生き生きとした歩みの原動力だ。それが主にとどまるという事だ。ある人が突然の入院となり、ベッドで意気消沈した。懸命に力を注いだ企画の、完成直前だった。「なぜ、どうして」と受け入れられない、反抗的な思いに気づき、祈りに持って行った時に、悔い改めることができた。

 

すると、入院が、主との静かな交わりの時とされた。心に平安が満ちた。多忙でひたすら駆け回っていた日々だった。主が幸いな交わりに引き戻して下さった。そして病室で、執り成しの奉仕とされ、その企画は大成功を見た。祈りであずかれたことに感謝した。 

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「そこで」と言われている。主の御心の中にいるなら、烏を遣わしてでも、必ず必要が与えられる。奇跡をもって養って下さる。主の御心を求め、御心に従って行きたい。又、一日〃主との交わりを重ねて行けるように。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係