「ミカがこのレビ人を任命したので、この若者は彼の祭司となり、 ミカの家にいた。」士師記17:12

ミカという人物が、エフライムにいた。家は非常に裕福であり、家に宮を所有し、後には祭司を雇うほどだった。ミカの母親が、銀千百枚が盗まれたが、その時、盗んだ者を呪った。だが、盗んだ犯人が息子だと知ると、一転、態度を変えて、息子を祝福する。一貫性が無く、自分の都合次第でコロコロ変わり、何でも有りだ。

 

ミカが盗んだ銀を返した時に、母親は、その銀を聖別して主に献げると言った。しかし、二百枚献げただけで、何とその銀で彫像を作った。それがミカの母親だった。ミカもミカで、自分の家に宮を作り、エポデを作り、テラフィムという偶像を作り、何と自分の息子を祭司にしていた。そこに丁度レビ人が来たので、富の力で、自分の家の祭司にした。

 

レビ人も、お金に目がくらみ、アロンの家系しかなれない祭司になった。王が無い時、このように、神に対する恐れがなく、偶像礼拝、秩序の乱れ、混乱、ぐじゃぐじゃだ。「自分の目に正しいと見える」とは「自分に都合の良い」だ。主の義も、主の御心も無く、ただ自分に都合の良いように、判断もその場の都合次第で、変えて行く。

 

それは「王がない」ためだと。王が無い時に、自分中心、自分の都合、自分の思いのままに歩んで行く。恐ろしい状態になる。主を自分の王座に来ていただかないなら、自分自身も同じだ。イスラエルのように、口では「神」「神」と言いつつも、自分の都合のままにそれて行く。主を心の王座にお迎えし、主の御声に耳を澄まして、主に従おう。

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本当に迷いやすい者だ。神、神と言いつつ都合の良い事だけが祝福だと自分の声ばかり聞いているのではないか。謙遜に祈り、御霊の導きにより神の目にはどうなのかを正していただこう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係