「さあ、逃げよう。そうでないと、アブシャロムからのがれる者はいなくなるだろう。すぐ出発しよう。彼が・・剣の刃でこの町を打つといけないから。」Ⅱサムエル15:12

以前にダビデは、家来たちが皆、命がけで戦いに出ている時に、夕方に起き出すという怠惰な生活の中、バテシバを呼び寄せ、姦淫の罪を犯してしまった。サタンの誘惑に乗ってしまった結果だった。どんな重罪も、主の御前に悔い改める時に、主の血潮のゆえに完全に赦して下さる。

 

主のあわれみは尽きない。だが罪は赦されるのだが、自分が蒔いたものは、必ず刈り取る事になる。蒔き刈りの法則だ。実子アブシャロムが自分に敵対し、王位を奪おうと、密かに謀反を企てていた。多くの人々が彼になびいた。ダビデにとって実子であり、どんなに心痛く、つらい事だったろう。

 

彼は、主に委ねて、民たちに害が及ばないよう、逃げる道を選択した。逃げて、逃げ回った。祭司ツァドクとエブヤタルも、契約の箱をもってエルサレムを出ようとした。が、ダビデが止めた。理由は、「主の恵みにかなうならば、私を連れ戻して下さるだろう」。御心なら主が、自分をエルサレムに再び戻して下さるからと。「もしそうでなくても、主が私に良いようにして下さる」と。

 

ダビデは、信仰に立つダビデに戻っている。自分で自分を守ろうとせず、自分に関する事をすべて主に委ねた。そして武力で立ち向かうのでなく、主に祈り、主に拠り頼んでいる。「私は声を上げて、主に呼ばわる。すると聖なる山から私に答えて下さる」と。私たちも問題が起きる時、決して自分で動かず、主に導きを求めよう。

 

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ダビデは、いつも窮地にある時、祈って祈って、祈り続けた。苦しみ悩みを前に「祈るばかりです」と。主に持って行った。愛する実子相手に戦えず、逃げる事を選択し、逃げ回った。主に自分も状況も明け渡して、主に信頼して行った。そしてダビデは守られた。、

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係