「主を待ち望め。その道を守れ。そうすれば、主はあなたを高く上げて、地を受け継がせてくださる」詩篇37:34

信仰生活で、「時」に関して学ばされる。「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある」の通り、すべての事に「神の時」がある。そして「時を待つ」ことは厳しい試練に感じる。すぐに結果が欲しくて、なかなか待てない。しかし待つことを通して、信仰が試され、練られ、培われて行く。待つこと無しには不可能だ。

 

アブラハムは、子供を授けるとの約束を与えられたが、待ち続ける事ができず、自分の力で女奴隷によりイシマエルをもうけてしまった。しかしその後に、アブラハムが100歳の時に、とうとう神の約束は成就した。息子イサクが与えられたのだ。しかしその時は、「自分のからだは死んだも同然」であり、サラの胎は死んでいた。

 

だが「それを認めても、信仰は弱らなかった」。反対に信仰がますます強くなって、神は必ず約束を成就されると堅く信じた、アブラハムは失敗した後、神を信じ、神を信頼し、神に望みを置いた。神は、奇跡のみわざをされた。同様に、神を待ち望む時に、私たちを通して、みわざを成して下さる。

 

もし、自動販売機にお金を入れると、即、飲み物が出て来るように、即、結果が出て来るなら、私たちは信じる必要が無くなる。信仰によって歩まない。待つ期間を通して、信仰が試され、神に委ねることを学んで行く。そして信仰が鍛えられて行く。神に委ね、信頼する時、時間は問題で無くなって来る。

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主が最善の時に最善をしてくださる。そう信じ待ち望む者を主は喜んでくださる。そして支え続けてくださる。主の御心がわからなくて不安が来るときもあるが、全てを主に告げて、主を待ち望もう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係