「・・神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」 ローマ8:28

バビロン捕囚は、ユダヤの民にとって大きな厳しい試練だった。祖国を追われ、捕虜となり、敵国に移される。状況を見るなら、絶望のどん底だ。どんなに悲惨で、真っ暗闇な事だろう。艱難、苦しみであり、混乱だった。しかし、結果的に見れば、それは御言葉の通りに、平安を与える計画であり将来と希望のためのものであった。

 

なぜなら、ユダヤの民は、捕囚の苦しく辛い試練により、悔い改めて主に立ち返れたからだ。厳しく辛い出来事であったが、信仰を回復する事ができた。預言通りに、70年後にエルサレムに帰還する事になる。主の大きな奇跡が成就する。「あなたがたのために立てている計画」、バビロン捕囚は不運で起きた事でなく、たまたまでも、人間による事でもなく、主の御手による計画だと。

 

それも目に見えるところは、絶望と動揺、恐れ、混迷にかかわらず、将来と平安と希望のための計画だと。縦糸と横糸が織りなされて、きれいな織物が完成するように、主は艱難の中で、苦しみの中で練り込み、御霊と一つにして行って下さる。私たちにも、平穏に暮らしている時に、突如の試練が降りかかる。ある日突然気がつくと、厳しい苦しいつらい事態の中にいる。

 

しかし、信仰人生で起こる一つ一つの出来事は、偶然でなく不運なのではなく、サタンにほんろうされているのでなく、すべて主の綿密なるご計画だ。それは、私たちのためであり、偶然でなく完璧なる主の配慮のもとで来たものだ。私たちも後に、それこそが主の深い愛である事が必ずわかる。

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どうしてこんな事がという問題があったからこそ今の自分があると確かに言える。主はみこころのご計画に導くために試練を用いておられ、それは必ず益となる。信じていよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係