「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。」伝道3:1

すべての事に「神の時」があり、主も「時」を非常に重んじられた。「わたしの時がまだ満ちていないからです」「見なさい。時が来ました」。私たちの信仰生活にも、何事においても「時」がある。カナの結婚式の真っ最中に、欠かす事の出来ない、ぶどう酒が無くなった。これは大変な失態で、新郎新婦の顔は丸つぶれだ。その時、母マリヤは、何よりもまず主に告げた。

 

主ならすぐに何とかして下さると思った。だがその時、主は「わたしの時はまだ来ていません」と答えられた。私たちはとにかく「今、すぐに」答えを期待する。即、答えが欲しい。すぐに!と思う。しかしマリヤは、自分で動こうとせずに、この事態を主にゆだねた。その結果、主は奇跡をして下さった。

 

サウル王は、時を待てずに失敗した。ペリシテの攻撃が来た時に、遅れたサムエルの到着を待てず、自分でいけにえを献げた。だがいけにえは、祭司しか献げる事ができない。この事のためにサウル王は、王位から退けられた。アブラハムも、神の時の事で失敗した。子孫を与えると神の約束を受けたが、待てども〃実現しないので、女奴隷ハガルにより、子どもを得た。

 

自分で、事を成した。しかし肉で行なうと、秩序が乱れ、大きな問題と混乱を生み出した。神の時を、待つ事が信仰だ。忍耐して待ち望もう。必ず神の時が満ちると、目の前でスルスルと、ひとりでに事が動き出す。

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早ければ早い方が良いとの価値観で動いてしまう。失敗してはじめて神の時ではなかったと示される。逆に絶妙なタイミングで全ての事が運ぶとき、これが神の時だと知る。神の時をよく悟れるように祈っていたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係