「あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。 なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか」伝道7:16

「正し過ぎてはならない」「知恵があり過ぎてはならない」とあり、日常生活において、この言葉は知恵と指針を与えてくれる。何事も「過ぎるな」と教え、戒められている。親の子どもへの過干渉や過保護が、どんなに子どもを損ない、妨げるかはよく知られている。

 

子どもを保護する事は親の義務で、重要で大切な事だが、「過」保護は違う。子どもを転ばせたくないために、親が先回りし、石を取り除く。親が子どもが転ぶのを、見るのが痛いためだったりする。それなら、子どものためでなく、自分のためだ。

 

転ぶ事を知らない子どもは、失敗への免疫と耐性が無いので、大きくなった時に、小さな失敗すら耐えられず、乗り越えて行けない。若い時に転ぶ事を、失敗や挫折を経験する事は良いことだ。又、過干渉は、子どもを親の思い通りにし、子どもの意志を奪い、子どもは、自分がわからなくなる。

 

絶えず親が口を出し、「ああしろ、こうしろ」と指図する。実は親が不安なので、自分の不安を解消するために、口うるさく言う。親の「保護」は必要で良い事だが、過ぎると害になる。又、自分の信念に従って、意見を言える事は良い事だ。わがままとは、相手の事も状況も、いっさい考慮せず、ただ単に自分の我を押し通すことだ。

 

だが注意が必要なのが、正しく意見を述べる良い事も、「過ぎる」と正しくなくなってしまうと。自分の意見を述べていたはずが、過熱すると、どうしても自分を押し通したい、自我がむくむくと出て来る。議論に負けたくない。又、正論だが、そこに愛が無い、という間違いも犯しやすい。過不足の無いように、祈って、へりくだって、御霊に導いて頂こう。

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謙遜にならなければ、御霊の導きが聞こえない。正しいと思うとき大きな罪に迷い込む。それに気づけない。自分は弱く間違いに気づきにくい者だと覚えて、主の前にいつも謙遜を祈っていたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係