「主よ。いつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか・・いつまで私は自分のたましいのうちで思い計らねばならないのでしょうか」詩篇13:1

この詩篇13篇の中には、4回の「いつまで」が出て来る。「主よ。いつまでですか」「いつまで御顔を私からお隠しになるのですか」「いつまで私は・・思い計らなければ」「いつまで敵が・・勝ちおごるのか」。主は御顔を隠しておられて、私は悲しい。「私の心には、一日中、悲しみがあり」と。敵は高ぶって攻撃してくる。厳しい試練の中だ。

 

人は、試練の終結の時が、解放される時がわかっていれば、いつまでかがわかっていれば、忍耐できる。しかしいつまで続くのかわからない、先が全く見えない状況ほど苦しいものはない。私たちも試練の最中は、真っ暗闇のトンネルの中で、全く出口が見えない。光が見えない。いつ終わるのか見えないと、更に苦しみとなってのしかかる。

 

ダビデはこの苦しみを、率直に、ありのまま主ににぶつけている。こういう時は、苦しみや悲しみ、嘆きを主に吐き出す事だ。「自分のたましいの内で思い計る」、自分が、自分の思いの中で計り、自分の思いに立つ所から苦悩が来る。「私の目を輝かせてください」と祈っている。自分でどうこうでなく、御霊の光が来る時、視点が変えられる。自分中心の視点から、主に焦点が合ってくる。

 

主の視点で見た時に、状況は変わらないが、突然変化した。「あなたの恵みに拠り頼みました」と。そして「私の心はあなたの救いを喜ぶ」「主に歌を歌う」と。喜んで賛美できた。大転換だ。視点がどこにあるかだ。今、あなたが厳しい試練の中なら、主の視点に立てるよう祈ろう。「私の目を輝かせて下さい」と。

 

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祈りが飛んでしまい、自分で何とかしようとする時に、落ち込んで行く。平安が失せ、喜びが消え、暗く、不安の中だ。すぐに主のもとに行き、正直に交わる時、必ず引き上げられ、導かれて行くことを繰り返し経験して来た。ありのままを告げてみよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係