「満ち足りる心」というのは、どんなものだろう。満ち足りる心を伴う敬虔が、大きな利益を受ける道と言われている。満足とは、環境から来るものでなく、心の問題だ。経済的必要は十分に、溢れるほど与えられているのに、それでは足りず、まだまだ不安で仕方が無い。「もっと〃持たなければ不安だ」。
幾ら所有しても、もっと欲しい、これは「貪欲」の罪だ。貪欲は心の問題で、際限がない。持っても〃更に欲しい。それは所有するほど、心が囚われてしまう。これで良い、満足という事が無い。神無しの世界だ。「満ち足りる心」は、感謝することから来る。「すべての事について感謝」「溢れるばかりに感謝せよ」、これが秘訣だ。
今、与えられているものを主に感謝して行く時、貪欲の罪から守られる。そして競争心等からも守られる。今、与えられている境遇を感謝する時、妬みから守られる。不平不満や妬みは、自分に無いものを数える事から来る。「あれが無い、これも無い」と不満で一杯になる。無いものを数えていないだろうか。主から与えられているものに、目を留めてみよう。数えてみよう。
あふれるばかりに感謝を献げよう。感謝する時、サタンの足場を無くしてしまう。パウロはどんな境遇であっても、満足する事を「学んだ」と言っている。自然にあるものでなく、「学ぶ」ものだと。少しずつ少しずつ御霊に従う中で、学びつつ身につけて行った。今、無いものを数えていないだろうか。ありのままを主に祈ろう。感謝に変えて下さる。
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なんと新しい年のスタートにふさわしい御言葉だろう。主は今年もあふれるばかりの恵みを備えていてくださる。それはすでに私たちの手の中にある。曇りがちな信仰の目を主にむけ恵みを受け取っていこう。
*主が与えてくださった新しい年を感謝します。また共に主を賛美しながら歩めることにも感謝します。2024年もどうぞ宜しくお願い致します。配信係