「私が、神に呼ばわると、主は私を救ってくださる。夕、朝、真昼、 私は嘆き、うめく。すると、主は私の声を聞いてくださる。」 詩篇55:16

ダビデが、「私の心は、うちにもだえ、死の恐怖が、私を襲っています」と訴えた。悪者の迫害があると。「恐れとおののきが私に臨み、戦慄が私を包む」と。非常に苦しい状況にあった。この状況から逃げ出したいが、逃げる事ができず窮地であった。迫害も苦しいが、更にダビデを苦しめたのは、同輩や親友の自分への裏切りだった。

 

「私をそしる者が敵ではない、それなら忍べた、そうではなく、私の同輩、私の友、私の親友のお前が」。ダビデは、自分の気持ちを、心の状態をありのまま言い表している。私たちも、苦しみの中で、自分の殻に閉じこもるのでなく、主に気持ちを率直に素直に叫ぼう。ダビデは、苦しみから逃避したい思いもそのまま告げる。

 

「鳩のように翼があったら、飛び去って休むのに。のがれ場に急ぎたい」と。苦しみには忍耐しなければならないのでは。いやダビデは、まずありのままの気持ちを、主に告げている。死の恐れ、孤独、受け止められないほどのつらい状況、それらを認めた時、ダビデは上を見上げた。自らの行き詰まりと厳しい状況の中で、「重荷を主にゆだねる」というところへ導かれて行った。

 

負い難い重荷を、主に明け渡し委ねる時、目の前の事態が導かれて行く。苦しむのは委ねられない時だ。問題に押しつぶされそうで、主も見えなくなる。明け渡せるように、助けを求めよう。「主は心配して下さり、決して正しい者がゆるがされるようにはなさらない」と。

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愚痴のような弱音も恨み言もダビデのように弱いままで支えてくださる主に告げよう。ありのままを祈っていると不思議に次の一歩が整えられる。主の慰めを受け取り思いを委ねて行ける。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係