エジプトを出たイスラエルの民は、約束の地カナンに向かった。その時に、12人の斥候がカナンに偵察に入った。戻った10人は占領できない、民は私たちより強いと言い、ヨシュアとカレブは占領できるから、上って行こうと言った。10人の斥候は、相手の力と自分たちの能力を比べ、自分たちは敗北すると考えた。相手は強大で、こちらはいなごのようだと。
この判断は妥当に思えたので、全員が従った。彼らは恐れ怯えて、エジプトで死んだら良かった、この荒野で死んだ方がましだとネガティブ思考に陥った。占領できると言ったヨシュアとカレブには、何と自分たちの親族さえつかなかった。彼らが占領できると言った根拠が、主が「カナンを与える」と言われたからだ。見えるところではなく、主の言葉に、約束に立った。
そして、結果的に、主の約束の地カナンに入ったのは、御言葉を信じたこの2人だけだった。信じなかった皆は、荒野で滅んでしまった。「信じる」ことは重要だ。不信仰とは神を見ずに、神以外のものを、問題を見ることだ。信仰とは、状況でなく神を見て、御言葉を見つめ続けることだ。
約束の御言葉を一心に見つめ続ける時、心に信仰が湧き、不信仰を退ける。信仰とは主と御言葉を見つめ、不信仰とは問題を見ること。今、どちらを見ているだろう。御霊の助けを求めて祈ろう。信じない者にならないで、信じる者とされよう。
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見えるものは強烈で気持ちはあっという間に引っ張られてしまう。御霊の助けを祈ろう。そこから主の御約束に導かれる。今見えている環境は主によって一瞬で変わる。信じよう。