「しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなので す。」詩篇73:28

詩篇記者は、悪者が栄えるのを妬んだと言っている。彼らはあぶらぎって、死にも苦痛が無く、他の人々のように苦労など、無いではないか。何の苦労もなく、あぶらぎっている。彼らは高慢で、暴虐だ。彼らはあざけり、悪意で語り、上から見下す。なぜこんな悪者が安らかで、富を増すのか。理不尽ではないか。なぜこんな神を信じない者が栄えるのか。

 

それに引き換え自分と言えば、苦しみばかりではないか。何の良いこともない。足はたわみそうで、歩みはすべるばかりだ。むなしいではないかと。彼は、悪者を妬んだとあり、それらの思いは妬みから来ていた。そして妬みは、人との比較から来る。主を見上げるのでなく、人を見ている事による。しかし、彼が聖所に入った時に変わった。

 

自分の不満、愚痴、いら立ち、悶々の思いは、状況も、人も関係なく、「自分と主との関係」の問題だと悟った。自分が主から離れているから、平安がなく、不平不満、人への妬み、羨望でイライラするのだと。主から離れているので、主以外のもので心を満たそうとする事が原因だと。そして自分にとっては、神の近くにいることが、自分の幸せなのだと、悟らされた。

 

私たちもどうだろう。人が気になって仕方なく、妬みや羨望が湧く時、又、いら立ちや不満がある時、目が主から離れていると言われている。私たちの幸せは、主の近くにいることだ。主に立ち返り、主で心を満たして頂こう。

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絶えず主の助けに拠らなければ、様々な事ですぐに喜びが無くなっていく。心が苦くなるときは主の傍に行こう。主に祈り、神のみことばに、聖霊の導きにしっかりと耳を澄まそう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係