「ばらまいても、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんでも、かえって乏しくなる者がある。おおらかな人は肥え、人を潤す者は自分も潤される。」箴言11:25

ガリラヤ湖と死海の有名な例えがある。死海は、ガリラヤ湖からの水が流れ来て、溜まる一方で流す先がない。死海からの川がないからだ。受けるのみ、溜め込むばかりだ。流れ込む水は蒸発する。それで死海の塩分は非常に濃くなる。この塩分濃度のため、魚が生息できず、周囲も砂漠で緑がない。

 

それにひきかえガリラヤ湖は、その上のフーレイ湖から流れて来る水を受け、その水をどんどんヨルダン川に流している。受けた水を常に出して、絶えず水が流れるので、ガリラヤ湖の水は生きている。そのため様々な魚類が生き生きと生息し、周囲も草木が茂り、緑が豊かだ。

 

私たちはどうだろう。受けるばかりだろうか。溜め込むだけなら、腐って死に絶えて来る。与えられたものを流すと、又、次々と与えられて、いつも新鮮で、生き生きと霊的喜びが流れる。与えられた恵みを証しすると、人の益となり、自分自身にも喜びがあり、又、証しすべき恵みが加えられる。

 

与えられている富、時間、賜物・・握りしめて溜め込んでいるなら腐って来る。喜びも無い。それを、神に、人に献げて行くと、又、更に増し加えられ、霊的喜びの流れが止まる事がない。人生何のために生きているのだろう。蓄えるためだろうか。

 

それとも主の素晴らしさを知るためだろうか。溜め込んで煮詰まっていないだろうか。主の御心にそって、手にあるものを献げよう。又与えられて、人にも自分にも祝福とされる。

 

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二人の主人に仕えられない。肉とサタンは不安を与え握りしめさせる。与えられた、任されているもの、賜物を、御霊の導きの通りに献げて行く時に、主の栄光が現れ、必ず主を新たに知り、霊的な祝福にあずかる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係