「・・主は誠実な者を保たれるが、高ぶる者には、きびしく報いをされる。」詩篇31:23

私たちは新生し、主によって罪が赦された。しかしまだ天に帰るまでは、肉の性質があり、主に拠り頼まなければ、すぐに罪を犯してしまう。血潮により、罪は完全に赦されているが、しかし今後、罪を犯さなくなるわけではない。だからこそ、主に拠り頼んで行く。私たちの犯す罪の内、最たるものは何だろう。

 

ある著者は、その罪を他人の中に見つけるなら、非常なる嫌悪感を持つが、その同じ罪が、自分の中にあると気づく人はほとんど無いと言う。その罪とは「高ぶり、プライド」といったものだ。明けの明星が天から落ちたのは、この高ぶりだった。高慢は、サタンの最たる特徴だ。アダムとエバが犯した罪も「あなたがたは神のようになり」という高慢への誘惑だった。

 

カインは、弟アベルの献げ物だけが受け入れられた事を激しく妬み、弟殺害にまで及んだ。プライドが傷ついたためだ。人々が「天に届く塔を建て、名をあげよう」とバベルの塔を建てたのも高慢のゆえだった。サウルがダビデをつけ狙ったのも、「サウルは千を打ち、ダビデは万」との女たちの言葉がプライドに触れたゆえだった。プライドは、主を愛する事の対極にある。

 

プライドは自らを高め、自らを神とし、人より上でなければ気が済まない。しかし、自らの破れた状態を知り、無力を認め、へりくだり、ただ主の愛ゆえに今ある事を知る人は、主を「愛して」行く。それらは決して相容れないものだ。高ぶりに気づかせられ、砕かれる事は、実は大きな恵みだ。主に砕かれる事によって、高ぶりから守られる。

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神のようになりたいなど思うはずがないという自分の中に簡単に御霊に従わない高ぶりがある。気づけることが祝福だ。自分で謙遜にはなれない者だ。破れを示され、認め、主に感謝していこう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係