「わが神。私はみこころを行うことを喜びとします。あなたのおしえは私の心のうちにあります。」詩篇40:8

あなたにとって、幸せとは何だろう。順風満帆の人生だろうか。家内安全、商売繁盛、受験は合格、畑は豊作、病気やけがが無いことだろうか。とにかく悩みや問題の無い、平穏無事な人生だろうか。自分の願望が叶い、したい事を成し遂げられて行くなら、幸せだろうか。だが、どうだろう。

 

ザアカイは、富が幸せをもたらすと信じ、同胞からの嫌悪もわかった上で、取税人のトップに昇りつめた。金持ちになったが、心は空虚だった。喜びも平安も無かった。サマリヤの女性も男性が幸せを与えてくれると、男性を求め、5回の結婚離婚を繰り返した。しかし決して満たされる事は無かった。

 

自己実現や生きがいを求めて、仕事に趣味にと、様々な事柄を巡る人々を見る。あれなら、これならと、心の隙間を満たそうとするのだが、心は埋められず、更に渇くばかりだ。人が強く求めるのは、「愛、喜び、平安」だ。これらが喉から手が出るほど欲しい。しかしそれ自体を、どんなに求めても得られない。これは御霊の「実」であり、「結実」であるからだ。

 

「神の国とその義とをまず第一に求めよ」自分の欲望、願望第一でなく、主を第一に求める時に、与えられる「実」だ。自分の欲望を充たして行くのでなく、その自分を明け渡して、主の御心を求め、歩む時に初めて、心の満たしを経験して行く。そして求めているものが、与えられて行く。主のお心を求めて行く時に、自分が満たされて行く。

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自分の欲望に従って生きられたらと思っても、肉の欲望に満足があるだろうか。引っ張られ流されていく。主に守られ、主と共に歩む生活はいのちと平安だ。神の国と義を求め続けよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係