「人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」ヨハネ15:5

ある人が習い事に通っていた。そこでの対人関係につらいものがあった。その中の一人の言動が、心に刺さった。嫌な思いをして帰宅していた。心悶々状態だった。そんな日々が続いた。自分は何とか愛をもって接っそうとするが、出来ない。なおも悶々で、辞める事も考えた。しかしその教室の指導者が、ちょっと名の通った、技術を持った人物だったので、習い続けたかった。

 

それで主の御前に、ことごとく打ち明け、さらけ出し祈った。その時に、自分は一方的に被害者だと思っていたが、自分も相手の言葉や態度を根に持ち、怒り、恨み、憎しみがある事に気づかされた。主の御前に心から悔い改めた。その時、悶々が消えて、心がすっきりした。主を感じた。自分では愛することは出来なかったので、主にゆだねた。心は平安だった。

 

そして次に教室に行った時に、自分でも驚いたが、何と、自分から話しかけたのだ。自分でなく御霊の働きだった。不思議が起きた。心楽しく話せて、趣味が同じである事がわかった。本を貸し合う仲とされた。この事を通して、すべては御霊による事を強く教えられた。

 

私たちも同様だ。「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」の通り、御霊によらなければ、何一つ出来ない。主の栄光を現して行くのは、御霊によることだけであって、主を離れた、肉の力で行う事は、栄光を現すことができず、実を結べないことを教えられる。

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主との交わりの手応えを感じると、自分では到底できない事も主が喜ばれる方へいきたいと思いが変えられる。主が導いてくださる事が嬉しい。主にとどまり実を結んでいこう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係