「ユダにサタンがはいった」とあり、サタンはユダに入り、主を裏切ろうとする思いを入れた。ユダはその思いを受け入れ、同意し、サタンの思い通りに、主を裏切ってしまった。サタンはユダの意志を無視して、勝手に入る事はできない。自動的に、人に入るわけではない。ユダがサタンに心を開き、受け入れた結果であった。
ユダのメシヤ観、価値観が、主とは相容れない事が、段々と明らかになって来たのだろうか。又、「彼は盗人であって、金入れを預かっていたが盗んでいた」とあるように、ずっとサタンに足場を与え続けていた。主は、ユダに、何度も悔い改めの機会を与えておられた。
主は「あなたがたのうちひとりが、わたしを裏切ります」と言われ、「まさか私のことではないでしょう」と言ったユダに、「そうだ」と言われた。弟子たちに、あなた方は全身きよいが、皆がそうではない、とも言われた。主の愛による、悔い改めの促しにも、ユダは応じなかった。主を裏切った後も、悔い改める事はなかった。
悔い改めは非常に重要だ。どんな罪も悔い改めるなら、帳消しにされ、完全な赦しが与えられる。何という驚くべき恵みだろう。罪を軽く見て、見くびってはならない。サタンに足場を与えてしまう。日々、これぐらいどうって事ないと、おろそかにしている罪はないか。聖霊が悔い改めを促しておられないか。
罪を重ねて行くと、やがて取り返しのつかない重大な事態に至る。日ごとに、御霊に心を探って頂き、悔い改めよう。罪はことごとく赦され、平安にされる。悔い改めて行く時、足場を崩してしまい、サタンに足場を与えない。
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自分の罪にはどこまでも甘くなかなか認められない。御霊を通して示されているなら悔い改められるように祈ろう。出来る、出来ないではなく祈ろう。主は弱いままで支えてくださる。